何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2010/04/06 (Tue) 近江の国人な人達


 速水さんが大助へ、徳川方にいる叔父さんの元へ逃げるよう促したという話は『武辺咄聞書』という史料に出てくる逸話のようです。原文だと、

「貴殿は一昨日 誉田にて手柄成る太刀打高名し、高股に鎗手負たるときく。疵は痛候哉。秀頼様にも頓て御和談にて御命無恙御出有筈なれは、貴殿は早々除給へ。人を添真田河内守方迄送届けん」

 と速水さんの言葉が書かれているらしく、速水さんの気遣いぶり全俺が泣いた。秀頼の助命に関して「つつがなく御出になられるはずだから」って、その上で大助を外に出そうとしているのですから、速水さん自身、秀頼が無事に済むとは恐らく思ってはいないわけで……それなのに大助へ「秀頼様は大丈夫だから、安心して城を出なさい」という具合に城を出るよう勧めるなんて。しかもその前には「傷は痛くないか」なんて、怪我をした大助を気遣っています。止めてくれ速水さん惚れてしまうから!
 ますます、速水さん←大助妄想がひどくなってしまいそうです。

 速水さんと言えば、出身地が速水庄だと言われておりますが、その速水庄は小谷城のすぐそば!という場所にあるそうです。そして、その速水庄の名主の一人に渡辺姓の人がいました。速水氏が速水庄の有力者であるのと同時に、渡辺氏も大きな力を有していたのかもしれません。渡辺氏の出身である二位局(茶々の侍女)の母親は速水氏の出だと言いますし、兄の渡辺勝はちょっと前まで速水姓を名乗っていました。足利義昭に味方して敗北した渡辺昌(糺のお父さん)は近江に逃亡したと言いますが、この近江の渡辺氏を頼ったという気もするようなしないような(…) ちなみに、かの有名は渡辺勘兵衛了は近江の速水庄出身らしいので、渡辺の勝さんや二位局、はたまた速水さんとも親戚同士かもしれませんね。
 近江の国人繋がりで、青柳が馬淵の親類を頼り重成との子供を産み、その子が馬淵姓を名乗ったという話を、今までふーんとスルーしてきたのですが、よくよく考えますと 馬 淵 姓 !大昔、六角家の守護代を代々務めた佐々木源氏の一族が馬淵氏です。その流れを汲む人々が、重成、もしくは青柳の親戚にいたのかもです。木村氏も真野氏も佐々木源氏ですので、その繋がりにきゅんときてしまいます。重成も青柳も、義弼に可愛がられてしまえ。馬淵氏の本拠があった場所は確か秀次の所領だった近江八幡辺りだった気がする、ので、その辺りの関係も色々と深読み出来てしまえそうです。六角義康に頭なでぐりされてる重成を妄想してこようと思います←

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