何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2010/04/19 (Mon) 腐れ縁な人達


 史学の学科に通っている友達が、戦国大名について調べなくちゃならなくなったんだけど、誰を調べたら良いかわからない!と言っていたので、六角家をごり押ししておきました← 六角家って大名扱いで良いんですよ…ね?あれ?(お前) 史料だけは無駄に手元にあるから貸すよ☆と良い笑顔で伝えましたとも、ええ!でも、そういう個人の好き嫌いを抜きにしても、六角家は面白い題材なんじゃないのかなぁと思います。保内商人や、室町幕府との関係を扱えば、そこそこ何か書けそうな。他にも、大徳寺、本願寺、延暦寺、永源寺など、寺社との関係でもいけそうです。
 そういえば、保内商人は主に伊勢へ買い付けに行っていたんですね。近江には海がありませんから、保内商人が伊勢から買い付けてくる海藻類や塩が、重要な品物として流通していたそうです。海藻は置いておきましても、塩は生活必需品ですから、伊勢路を失ったら、湖南は大打撃だったのかもしれません。だから、定頼様は高実ちゃんを北伊勢の有力国人である梅戸家へ養子に出したり、北伊勢へ侵攻したりしたのかなとも思います。流通ルートの確保、みたいな。他に、近江へ塩を含む海産物がくるルートがあるとしたら、越前を通ってやってくるルートでしょうか。こちらが塞がれると、湖北が迷惑しそうですね。湖西は若狭とのルートがあるので大丈夫そうですが。天文九年に、定頼様と亮政の連名で「朝倉に道をあけるよう伝えてよ!」なお手紙を証如さんへ送ったのは、ここらへんの事情があったかもです。塩が無くなっちゃうよ!的な。しかし、どうして朝倉がこの時、道を封鎖していたのかいまいちわかりません。おまけに、定頼様と亮政からの要請を証如さんは断っていますし、い、一体何が。

追記>『史料綜覧』の記述を読む限り、朝倉方が越前への道を封鎖しているため、六角定頼と浅井亮政は本願寺証如を通して、その通路をひらこうとした、と汲み取れます。がしかし!今さっきちょちょいと検索をかけてみましたら、これは定頼様と亮政が、一向一揆問題で朝倉家と対立していた証如へ「一万貫よこせば、朝倉との和睦を斡旋してやるよ」とのたまった手紙である、的なことを書いてあるのを見つけてしまったのですけれども、な、な、なんですとぉおお!?二人揃って何やってるの貴方達。そりゃ、証如さんもびっくりです。何この新手のカツアゲ。天文五年に、定頼様と和睦した証如さんは、わざわざそのことを亮政へ報告していますから、定頼様も亮政も、本願寺と深いお付き合いをしていたのでしょうけども (後年、定頼様の猶子が顕如さんへ嫁ぎ、浅井家も浅井家で、久政の閨房教育を行い身籠った女性が顕如さんの乳母になっています。つまり、顕如さんの乳兄弟は長政の異母兄) どう見ても、カツアゲです← 
 六角・浅井・朝倉・本願寺と、信長包囲網を構成していた家々の関係が因縁深すぎて、もだもだしますね!お祖父様の時代、下手したらそれよりも前からの腐れ縁って。

追記の追記>ナチュラルに、高実ちゃんを梅戸へ嫁がせたって書いてました!手遅れなんじゃないのかこの頭。

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