何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2010/04/25 (Sun) 秀吉がらみで色々と


 義演准后さんもMy HIDEYOSHI をお持ちだったようです(…)
『義演准后日記』慶長十年八月十八日の条に、義演さんが秀吉の法要のために理趣三昧というのを行っているのですが、それを行ったのが義演さんが「私に」奉っている豊国社でだったそうです。神屋宗湛以外にもマイ秀吉を保有してる人がいたとは……もしかしたら、ここに出てくる豊国社が、現在の醍醐寺三宝院の庭にある豊国大明神の祠になったのかもしれません。昔はちゃんとした社だったけど、幕府を憚り今の祠にまで小さくなったのかなぁと。それにしても、ここまで義演さんの秀吉スキーぶりを目の当たりにしてしまうと、登場させたくなってしまいます。秀頼が関白になるという噂が一時流れるのですが、それを聞いた義演さんの日記のテンションは凄いです。「珍重、珍重、珍重」ですよ。つまるところ「めでたい、めでたい、めでたい」ですよ。どれだけめでたいの!大分前の日記にも書いていますが、夏の陣が終わった後に秀吉の法要を営んでしまうほど豊家へ肩入れしていた人ですから、秀頼が関白になる、という噂を聞いた時、滅茶苦茶嬉しかったんだろうなぁ。それが単なる風聞だと知った時の落胆は大きそうですが……。
 そういえば、大日本史料や、史料綜覧をぱらぱらーとしていると、知らなかったことが色々と書いてあって面白いです。慶長十年に、まさかの八丈島の火山噴火ですよ。ひ、秀家ぇええええ!
 更には、慶長六年に、官兵衛が家康から「畿内に知行地やるし、官位もやるよ」と言われて断ったらしいとか、慶長七年に政宗が秀頼のもとへ挨拶に行って家康にイラッとされたとか。思わず、政宗チャレンジャーだなwwwと思ってしまいましたが。ぽかーんとしまったのが、島津の義久さんが豊国神社で神楽の祈祷を行うよう、梵瞬さんへ使者を通してお願いしていたことです。よ、義久の腹が読めない!慶長八年の五月も後半のことですから、既に家康が将軍宣下を受けた後です。九州と京の遠さを考えると、義久は秀忠の将軍宣下を知らなかったのかも?とも思えますが、義久が豊国社で神楽の依頼をしていること自体、意外過ぎます。あわわわです。同じく豊国社ネタで、慶長十年に佐竹義宣さんが豊国社に石灯籠を寄進することを、梵舜さんへ伝えています。京の豊国社には、散逸してしまっていた石灯籠の内、回収出来たものが並べられていますが、もしかして名前が風化して分からない一基が、佐竹さん寄進のものだったりするのかもしれませんね。余談ですが、並んでいる石灯籠の内一基は、治長が寄進したものです。私は良く読めなかったのですが(…) 大野修理大夫治長と刻んであるのだそうな。
 『梵舜日記』は、読んでいくと本当に面白いです。まだ、大日本史料に載っている断片的な内容しか読めていないのですが、いつか『梵舜日記』をちゃんと読んでみたいです。だって、関東へ下向する浅野長政さんが、旅の無事を祈るために豊国神社で湯立ての祈祷を行ったら、一釜割れて一釜沸騰するんだぜ…?腹抱えて笑うかと思った← 間が悪過ぎるよ長政さん。ただ、現代の感覚で読むと、うっかり笑ってしまいそうになりますが、呪詛やら占いやらを信じていた当時の人にとっては、笑いごとではないような……。また、こちらは『時慶卿記』の話になりますが、ねねが大坂に行くという内容を読む度に、ほっこりしちゃいます。半月以上逗留していたこともあったりで、茶々や秀頼、それに多分千とも、どんな日々を過ごしたのか勝手に妄想してます。山里曲輪で紅葉でも見ながらほのぼのしていれば良いと思います。

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