何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2010/04/27 (Tue) 宗牧さんの観音寺城ツアー


 定頼様時代の観音寺城の様子がちょっと分かる、ということで谷宗牧という連歌師の偉い人(…)が、東国へ下向した時の様子を書きとめた『東国紀行』というものを、ちょろっと読んでみました。東国へ下向するついでに、宗牧さんは観音寺城へ寄っているのですが、本当に定頼様の屋敷に「二階」が存在してましたよ…!それから、高保や永田さんと囲碁を打ってた義賢にちょっときゅんとしました← しかし、文中で尊敬語を使われまくっているのは、定頼様のことなのでしょうか。主語が例の如くすっぽ抜けなので、フィーリングで感じとるしか。もしも定頼様のことだった場合、滅茶苦茶宗牧さんに恐れられry……敬われてますね!あと、天文十二年に体調を崩した、ということにもなります。
 宗牧さんは、建部さん家と旧知の仲だったらしく、仲でも建部左馬という人と旧知の間柄のようですが『寛政修重諸家譜』の建部氏の項目で佐馬助という役職名の人は「ドン満綱」の代、つまり嘉吉年間から高頼ダディの頃まで仕えていらっしゃった方しかいないのですが……宗牧さん、いくつ?← また、建部氏の人で、源八という字の人が、幼少の頃の義賢の手習いや、後見をしていたとも書いてあります。この源八さんは、もしかしたら義賢お気に入りの建部賢文さんの父親である、建部秀昌さんのことかなぁと。『寛政修重諸家譜』ですと、字が源七郎になっていても、気にしません!(…)宗牧さん曰く、書のことだけでじゃなく、他の色々な道に通じている凄い人だよ!とのことです。しかし、幼い頃の義賢に手習いを施した人とは……何だ、この胸のときめき(病気です)

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