何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2010/05/21 (Fri) 饗庭さんとか



 ふと、饗庭さんと政之(浅井長政の弟)て歳が近かったのかなぁと妄想してみたら、えらく萌えました。歳が近く、おまけに仲良しだったらきゅんとしてしまいます。×ではなく、+な関係で。
 最近は、糺・重成・長秋・兼相・治房妄想をぽけーとしている時はしているのですが、いつの間にか女房衆のことに妄想が移っておりまして、饗庭さんはぁはぁ状態に(…) 真に、茶々の苦しみや痛みを理解出来たのは饗庭さんなんじゃないかなぁやら考えてしまいました。勿論、大蔵さんも茶々の大きな支えとして傍にあったとは思いますが。でも饗庭さんは茶々の乳母であったことも加えて、茶々と同じく、戦で親と故郷を奪われた浅井の一族という境遇だったので、痛みを共有出来たんじゃないかなと。更に浅井が滅んだ時は、十代後半か二十代前半だったと思われますので、自我もはっきりしています。捕らわれた阿古さんが、織田方に指を一本ずつ切られ、数日かけて処刑されたという話も聞いたと思いますし、何か、はい、うぉああああとなります← 女の人は命を助けられる、という当時の在り方から考えると、阿古さんへの処遇は異常だなと思ってしまいます。いくら長政の母親だったとはいえです。処刑するにしても、首を切り落とすとかならまだしも、指を少しずつ切って数日苦しみを味あわせて殺すって……信長一体何があったし。大坂の役で、南部さんが大坂に籠城したかつての家臣をそんなやり方で処刑したなぁ、ぐらいしか聞いたことありません。その人は確か、指を切る役目の人が震えているのを見て、せせら笑ったという恐ろしい逸話を持っている人なのですけども(…) 阿古さんもそんなんだったような気がします。泣き叫んでる阿古さんというのが想像できない(阿古さんを何だと思って)
 そんなこんなで、大坂の役の時、饗庭さんは何を思ってたんだろうなぁ、小谷城が落ちた時のこと思い出してたりしたのかなぁやら考えてしまうともう駄目です← 茶々の身の回りの女の人達って、戦に巻き込まれたことのある人達が多いような印象があるので、結構どっしり構えてそうなんですよね。大坂城にいた初に至っては、関ヶ原で大津城が攻められたとき、自ら弾薬の運搬を手伝った猛者ですから← この時、銃弾が袖を貫通したのは初でしたっけ、その侍女でしたっけ。どっちにしろ、凄く、元気です。その戦真っ最中な大津城へ、開城勧告の取りなし役として孝蔵主(寧々の使者)と一緒に饗庭さん(茶々の使者)も行っているので、下手な男の人達よりも、戦のことは知っていそうな気がします。

 饗庭さん+政之で、野村合戦(姉川の戦い)前後辺りのことをちょっくら妄想してこようと思います。


追記:そういえば天文八年の証如さんからの手紙に「少弼殿(定頼様)御在津之由候間」という一文があるのですけれども、これってつまり「少弼さんは津にいらっしゃるので」という意味で良いのでしょうか。そうなると、「津」が伊勢の「津」を指しているのか気になります。翌年の天文九年に、六角家は北伊勢の長野氏とドンパチをおっ始めますのでこれが伊勢の津を指しているのだったら何か関係しているような気が。当時、伊勢の津は北畠氏の支配圏内に近かったようなので。長野氏は北畠氏と対立しているので、存外、この時に定頼様の娘が北畠氏へ嫁ぐ話が持ち上がったのかなぁという気もします。この「津」が伊勢の「津」を指しているのではなかったら、生ぬるく笑ってやって下さい←

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