何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2010/07/03 (Sat) 後藤さん家の又兵衛さん



 兼相の「棒で殴り殺そうが、刀で切り殺そうが結局は同じことだろうがよ!」発言が読みたくて、大日本史料集の道明寺の戦い辺りを読んでいたのですが、結局見つけられませんでした……おおお、どこで読んだんだっけな……。その代わり、又兵衛について纏められている項目で、後藤左門さんのその後を知ることが出来ました。

 又兵衛が出奔した後、毛利家預かりとなりとなっていた左門さん。又兵衛が大坂へ入城したことで、幕府から左門さんを預かっている毛利家へ「左門を大坂へ入城させ、徳川方へつくよう父親を説得させなさい」という命が下ります。それをうけた毛利家が、船で左門さんを大坂へ送り出す手はずを整えたところで、ふっつりと消息が消えていました。しかし、どうやら左門さんの物語には壮絶な続きが待っていたようです。
 冬の陣が既に始まっている十一月。毛利家の人四人に警護された左門さんは、山口において自害しました。その自害を止めようとした警護の人の内、二人を殺害し、残り二人に重傷を負わせたそうです。毛利家の書状にあったことなので、恐らくガチで起こった出来事だろうと思われます。何というか、あの父にしてこの子あり、といった感じがします……父親離反の手引きをするくらいなら、死んだ方がマシとうことですか左門さん。
 しかし、又兵衛子供が多過ぎて噴きました。最低七人いるってどういうこと!『長沢聞書』に、又兵衛の息子として名前の出てくる一意が、又兵衛の長男だと思われます。字は左太郎。フルネームだと後藤左太郎一意。夏の陣の後、細川家に拾われ覚書のようなものを残しています。しかし江戸時代に史料をまとめた細川家の人に「どのような由縁で伝わったのか謎である」と書かれてしまう悲しさ(…)
 もう一つ気になったことで、又兵衛の字は与三郎で良いのでしょうか。もしもその通りだとしたら、後藤与三郎、大野弥三郎と三郎続きでえらいによによ出来るんですが← あと『後藤系譜』というもので「大坂城総軍司職」という良くわからん肩書きを与えられてた又兵衛にきゅんとしました。何だ総軍司職て。

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