何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2010/10/04 (Mon) 残された人達の話


 よしながふみの『大奥』をこの間まとめ買いして一気読みをしたのですが、徳川家宣が出てきた辺りで「糺の孫が仕えてた人だぁ」というのを思い出して何故か泣きたくなりました(何で) 
 夏の陣を生き延びた糺の息子・守は南禅寺の僧侶となりますが、どういうわけか細川忠興の口利きで還俗します。いや本当なんで忠興?な感じなんですけど……。縁戚と書かれていたので、元々室町幕府の幕臣だった家柄同士、どっかしらで血が繋がっていたのかもしれません。竹田永翁の父親は忠興にとって母方の従兄弟ですし、糺の場合もあり得ない話ではないかなぁと。
 というわけで守は18歳で還俗し、徳川綱重に仕えるわけですが、ここら辺に千が絡んでる気配がぷんぷんするのは勘ぐり過ぎでしょうか……。千は、綱重にとって育ての母親のようなものです。その綱重に仕える、かつて豊臣家に仕えていた男の息子、という構図に何やら妄想をしてしまいます← 千は大坂城に籠もり、後に捕まった人達の助命を嘆願していたりしますので、陰ながら元・大坂城の人達へ手を差し伸べ続けていたらきゅんとしてしまいます。やっぱり、豊臣家の御裏様なんだなぁと。浅井の人達へ手を差し伸べ続けていた茶々と重なってしまうというか何というか。
 なんやかんやで綱重へ仕えた守の息子・勝もまた引き続き甲府藩に仕えます。そのまま綱重の息子である家宣の小姓組→書院番頭→持筒の頭と進んでいった模様でして、家宣が時期将軍と決まった後も、江戸城の西の丸へ付き従います。しかしここで疑問なのが、西の丸時代に下総と常陸に二郡領地を与えられていながら、家宣が将軍へ就任する前年に致仕してるんですよね。ほぼ勝と同じ出世ルートを歩んでいた川勝さんという人は、家宣が将軍就任を果たしたあとも仕えていたりするので、何かあったのかなぁと。もしかしたら、祖父が渡辺糺だったからかもしれません。徳川家と敵対した豊臣家に仕えていた人物を祖父に持つ自分が幕臣になるのはよろしくない、みたいに考えたのかもです。もしくは、ここで幕臣になってしまったら祖父に申し訳が立たない、かもしれませんが。守が「武勇に優れた糺の息子だから」という理由でいきなり五百石スタートだったので、守以降の渡辺家は糺を敬いまくってりゃ良いじゃないのと。
 そんなこんなで、生き残り組+その子孫達の江戸時代を考えるのもちょっと楽しいです。大奥で育った、浅井直政カタリナ(明石さんの娘)夫婦の間に生まれた男の子とかとか。

 

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政宗にも言えることですけど忠興は人材コレクターなので家臣に滅びた家の有名所の子・孫が多いです。

2011/02/04 19:16 | [ 編集 ]


Re: タイトルなし 

> 政宗にも言えることですけど忠興は人材コレクターなので家臣に滅びた家の有名所の子・孫が多いです。

コメント有難う御座います。返信が遅くなってしまい、申し訳ありません!
あ、忠興も人材コレクターなんですか!藤堂高虎が人材コレクターなイメージが強かったので、忠興がそうだというのはちょっと意外でした。ということは、忠興が集めた滅びた家の家臣に、糺の渡辺家と関係している人がもしかしたらいたのでしょうか?その人との繋がりで、守還俗の仲介人をしたのかなぁと、少し考えたのですが、やはり家臣の繋がりというよりも、縁戚として関係があった方が自然かなぁと思ってしまいました。家臣繋がりでも、とても素敵なのですけども!
コメント、有難う御座います!

2011/03/23 21:24 | 干身@乙式 [ 編集 ]


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