何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2010/10/09 (Sat) 渡辺糺の孫玄孫


 江戸時代の糺の家系について『寛政修重諸家譜』をちょろちょろ見ていたのですが、以外なところで明石さんの弟について言及している記述があって噴きました。米倉永時という人の項目に「元和元年大坂落城ののち、城兵明石全登が弟をよび従者相模三浦にのがれ来るにより、速やかにその主従五人を捕へたてまつる」という記述があるんです。つまり、明石全登の弟が、その従者と一緒に相模の三浦まで逃げてきたよ!だから即行捕まえてやったよ!ということらしいのですけども、この弟は全延のことなんですか……ね?『寛政修重諸家譜』はちょいちょい内容がうっかりさんなところがあるので、間違ってる可能性も否めないのですが。もしくは、全延以外にも、明石さんの弟が入城していたのかもですね。
 そしてこの米倉永時さんの孫に、糺の孫娘が嫁いでいるという……。「糺の孫娘」という響きだけでときめいてしまいます。

 この間の記事で、何で糺の孫である勝は、仕えていた家宣が将軍になる前に致仕したんだろう?と書いたのですけども、やっぱり糺の孫であるのを憚ったのかなぁと。致仕するのと同時に、勝の養子(即ち糺の血を引いていない人)が家督を継ぎました。そこら辺を、色々と勘繰ってしまいます。しかし、勝の養子である統の更に息子(糺にとっては血の繋がらない、系譜上の玄孫)の定が、字・権兵衛の役職名・内蔵助であることにテンションうなぎ登りですよ!江戸時代に渡辺内蔵助がいたなんて……! 定は、顔も見たこともない曾々祖父の糺に憧れてれば良いなぁな、妄想をしてしまいます。
 しかし、自害をする前に「普段から覚悟してればいざ死ぬ時になってもうろたえなくてすむのですよぉ」と「うち笑い(原文そのまま)」自害する正栄尼さんに慄きました。うち笑い……うち笑いて貴方。

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