何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2010/11/20 (Sat) 大野治房の息子


 大野治房の息子について、走り書きのメモで失礼します。
名前は永井勘兵衛。大坂落城当時は幼く、京の近辺に隠れ住んでいた。成長した後は、長崎で市井に混ざり暮らすようになる。しかし、慶安二年(1650年)に密告され、京へ送られる。息子が京に住んでいたが、この息子ともども死罪となった。
 とのこと。『長崎旧記』に記載されている内容です。まったく別件で史料をあさっていたら「大坂城ニ籠もる大野主馬子永井勘兵衛ト云者長崎ニ捕京都へ被渡事」という見出しがあって、目玉ひんむきました。しかし、この永井勘兵衛の説明が「大野道軒弟大野主馬子永井勘兵衛」て……治胤と治房の上下が逆転しとる。1650年と、夏の陣から三十五年も経っていますし、当時のことを知っている人も散り散りになっているので、情報がおかしくなってしまっても無理はないかなとは思いますが。気になるのは、大坂城に籠もっていた譜代の罪(罪というのもおかしな話ですが。幕府的にはということで)を許すというお触れが、随分と前に出ているはずなんです。牢人に関しては、中々そのお触れは出ませんでしたが……よっぽど、治房だきゃあ許してなるものか!となっていたのかもですね。おまけに本人は最後まで捕まらなかったのですから、むきー!となりそうです。永井勘兵衛を探し出す時も「長崎中ノ下人迄残壱人宛三四世代以前先祖ヲ改稠敷被吟味遂候」なので、とにかく長崎中の人間の先祖を洗い出しました!と、物凄く熱入ってます。いや、でも、本当、治房はどこへ行ったんだ(…) 明石さんと一緒に海外に渡ってたりして←

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