何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2010/12/08 (Wed) 本の感想とある手紙


お久しぶりです!先日、福田千鶴先生の『江の生涯 徳川将軍家御台所の役割』を読んでみました。福田先生は『淀殿 われ太閤の妻となりて』を書かれた方です。督については不勉強甚だしいので、ひたすら「ほーはー」と感心することしか出来なかったのですが、佐治一成との結婚について「ぶっちゃけ嫁いでないんじゃ?」な考えを示された時には、そうか!となってしまいました。婚約のみを交わしただけで、嫁いでいないとした方が、個人的にも納得することが出来ました。朝日の件との類似がそうなってあーなってなるほどねーと(…) 督の子供達の件につきましては、色々なサイトさんやらブログやらツイッターやらで、福田先生の考えに対しての賛成反証などなど、たくさん目にする機会があって面白いです。そういう見方もあるんだなぁ、みたいな。ただ、家光に関しましては督の子供じゃないような気がするようなーしないようなー(ごにょごにょ) 督の子供です!正嫡の長男です!とするには、ちょっとごたごたしすぎなんじゃないの?と。しかし、家光が忠長の命を助けようとしていた、というのにはちょっと胸がきゅんと←
 督の話ではありませんが、同書の中で、茶々が片桐さんに宛てて送った手紙が紹介されていました。慶長八年(1603年)のものだそうです。この手紙を読むに、茶々は鐘銘事件のごたごたが起こった時も、心の底から片桐さんを信じていたんじゃないかなと思います。それほどまでに、片桐さんへ茶々が信頼を寄せていたのが伺える手紙でした。実際、鐘銘事件があり、片桐さんが自邸へ立て籠もってしまった時にも、茶々は「私は貴方のことを信じています。そして、貴方を害するつもりなどまったく無いのです」という旨の手紙を片桐さんへ送っています。……片桐さんは茶々のことを信じてはくれませんでしたが。それを思うと、この慶長八年の手紙は切ないなぁと。

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茶々姫と且元 

あの手紙は…「他のものの目に触れないよう、読んだら返却して下さい」という下りが一番切ないです。
やっぱり、気軽に人に相談したりしにくい立場・環境だったんだなあ…と。

且元も、それだけ全幅の信頼を寄せられてる茶々姫自身を信じられなかったというより、例え茶々姫を信じていたとしても、同じ志でも茶々姫を守るためには且元を処分しなければ!という一派があったから、茶々姫の信頼にこたえられなかったんじゃないかと思います。
あの手紙をみる限り、且元は茶々姫の苦しみを知っていたでしょうから、その方が無理がないような気がします。

本当に、この件ばかりは茶々姫と且元の信頼関係や忠義をうまいこと家康に利用されたなあ…と思います。
感情的には許せない、と思いますが、さすがは家康、とも思います。

2010/12/08 18:51 | 紀伊 [ 編集 ]


たびたびスミマセン… 

うちのサイトに、乙式さんのサイトはリンクを張らせていただいていたのですが、ブログは張ってなかったなーと思い、私のブログにリンクを張らせていただきました。
事後報告で申し訳ございません。
こちらのブログにはいつもいろいろと気付きをいただいたり、勉強させていただいていますので…

師匠も疾走しまくりの年の瀬ですが、お体に気をつけてください。
コメントへのお返事は、落ち着いた時で結構ですので…(決してせっついているわけではありませんので!いや、本当にw)

2010/12/27 02:56 | 紀伊 [ 編集 ]


Re: たびたびスミマセン… 

本っっっっ当にコメントへの返信が遅くなってしまいすみません!スライング土下座ものですねこれは……!コメント、本当に有り難いです。
私も、茶々姫には頼れる人物が限られていたという状況を、且元へあてた手紙から感じました。弱みを知られるわけにはいかない立場というか……且元も、姫、ひいては豊臣家の為に必死だったのは理解できるのですが、それでも、もだもだしてしまうと言いますか!治長が頑な過ぎたのか、且元がもっと死ぬ気になれば良かったのか……考えてしまいます。しかし、且元のお気に入りだった治長(息子のように思っている、と且元が語っていたとする史料もあるそうです)と且元の決裂を思うと、治長へ何やら吹き込んだ輩がいるような気もしてしまいます。
その辺の、人心を利用して、内部の崩壊を目論むといったド外道な手法は秀吉の得意技でもあったので、複雑な気分ですwww

そして、ブログへのリンク有難う御座います!更新のさっぱり出来ていないサイト+ブログなので、申し訳ないです……出来うる限り、私も勉強をしたことをこれからも書いて参りますので、宜しくお願い致します。
紀伊様も、どうぞお体をお大事になさって下さい。
あ!あと、大河の話なのですが、NHKでやっていた15分の大河特番での姫の紹介のされ方に、ちょっと引っかかってしまいました(…) 「戦国の世に君臨していた」って、さすがにそれはと(笑) う、器が小さいですかね!?

2011/01/03 00:17 | 干身@乙式 [ 編集 ]


 

崇源院は家光誕生記念に寺に門を寄進したり、淀殿から家光誕生祝いの書状が現存しているので
家光は実子だと思います。家光の嫁探しに奔走したりと行動しているのに無視しすぎるんですよ。
春日局もそもそも身分が違うからそもそも対立はないよ説もあります。

2011/02/04 19:12 | [ 編集 ]


Re: タイトルなし 

> 崇源院は家光誕生記念に寺に門を寄進したり、淀殿から家光誕生祝いの書状が現存しているので
> 家光は実子だと思います。家光の嫁探しに奔走したりと行動しているのに無視しすぎるんですよ。
> 春日局もそもそも身分が違うからそもそも対立はないよ説もあります。

 コメント有難う御座います!返信がとても遅くなってしまい、申し訳ありません!
淀の方が家光誕生を祝う書状を書いていたことは存じあげていたのですが、崇源院が家光のために門を寄進していたことはすっかり失念しておりました。やはり、実子だからこそ、そこまで大がかりなことをしたのでしょうか………。春日局と対立していた、という話は私自身も俗説だと考えています。むしろ、次期将軍が家光だと中々確定しなかったこと、崇源院が家光の誕生日を極秘扱いしていたことから、家光の実母は崇源院なのか否か、といった疑問を抱いておりました。「もうその疑問には信憑性の高い説が出てるんだよ!」など御座いましたら、ご教授頂けると助かります……。不勉強甚だしくてすみません!
コメント、有難う御座います!

2011/03/23 21:19 | 干身@乙式 [ 編集 ]


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