何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2011/01/21 (Fri) 六角でだらだらと


 まだ大河の2話が見れていない干身です、こんにちは!
 暇を見つけては、政元謀殺辺りから始まる六角家のあれやこれやを纏めようと頑張ってはいるんですが、これっっぽちも進みません← あれ、何で伊勢の長野さん家と喧嘩してるんだっけ?あれ?みたいな。ですが分かったことは、六角意外と敵が多いってことでしょうか……いや、分かってたことですけども(…) 伊庭さんを潰して伊勢で長野さんと喧嘩して土岐氏の内訌に首突っ込んで、京極家の泥沼合戦に首突っ込んで中央の細川京兆家やら将軍を巡る戦いに首つっこんでむしろ全力で加担して本願寺をのりのりで焼いて浅井と殴り合って三好にぶち切れて時々将軍を見限ってみて、時々身内のいざこざに手を焼いて、と何か楽しそうですね(…)
 しかし、やっぱりテンションあがるのは、浅井とぎゃーすかやってる時です。中央の情勢に茶々入れまくってるのも楽しいんですが! 遥か昔、南北朝よりも前の時代から、六角は同じ佐々木一族の片割れである京極と喧嘩したり手を結んだりやっぱりお前死ね!な関係になったりを続けていたわけですが(そして応仁の乱辺りでは、お前の敵は俺の味方状態に陥ってるわけですが) そんな因縁深い相手であった京極家を有名無実化し、のしあがってきた浅井家を、六角の人達がどう感じていたのか想像するとテンションあがります。小賢しいと感じていたのか、お前京極倒すの俺達のはずだったのに何してくれたんじゃ!と感じたのか、それとも面白いと感じていたのか。是非とも定頼様には、亮政の台頭を愉快に感じていて欲しいです。将来的には、二人揃って証如さんをカツアゲしやがる亮政と定頼様が好きです(…)
 六角と京極の因縁繋がりでもう一つ。義弼は「義弼→義治→義堯」と名を変えていったと言われています(義堯=義治というのは余りメジャーになってはいませんが) 「堯」の偏諱を使った義弼は、一体どういう覚悟だったんだろうなぁと。応仁の乱の時代、六角の一族に、六角政堯という人がいました。父親は、六角時綱です。時綱は実の父親と兄(六角満綱と六角持綱。当時の六角家当主とその嫡男)を反乱によって死に追いやりましたが、細川勝元の手で還俗、擁立された弟・六角久頼との戦いで破れ、自害へと至りました。この久頼が、たび重なる京極持清からの政治介入などなど(他にも、うぁあああ……としか言えないことがあったりします)により、ストレス自害。そこで登場するのが、六角家の面々からは反逆者!という烙印を押されていたであろう時綱の息子、政堯です。どういうわけか、この政堯は幼かった六角政頼(久頼の息子。高頼の父。政頼という人物は存在せず、久頼の息子は高頼であるという説が通説ですが、今は置いておきます)の後見人という立場となります。次いで、政頼を放逐し、自らが六角家当主、そして近江守に就任します。(代々近江守は、佐々木一族の嫡流である六角家当主が務めるのが暗黙の了解となっていました。とっきどき、何それ知らないとフリーダムしやがる奴もいましたが。モッチーとかモッチーとかモッチーとかモッチーry)
 そして色々とすったもんだがあり、政頼が六角家当主に復活、近江守就任、逆に政堯放逐、という事態へと動いている内に応仁の乱が勃発しました。当然のように、政堯と政頼はそれぞれ東西へと分かれ戦うことになります。最終的に、政堯は政頼との戦いに敗れ、父親と同じく自害という道を辿ることとなりました。この後、政堯の息子を六角家当主に擁立しようという動きがあって政頼(これは高頼かも)ぶち切れ、ということがあったりするわけですが……義弼は、勝者である政頼から繋がる血筋の人です。義賢の手紙を読むに、六角家は古実を大事にする家だったようなので、先祖に辛苦を嘗めさせた「六角政堯」という人の存在は、忌まれていたように思うんです。政堯以降、六角家に「堯」の偏諱を使う人は一人もいません。名前を非常に大事にしていた当時の考え方からすると、やっぱり「堯」を使う人がいなかったというのは、何か意味があったように感じます。
そこで行き成り、義弼による「堯」の偏諱使用ですから、勘繰りたくもなります。義弼が義堯へ名を変えたのは、鯰江城落城以降だと考えられますので、下降を辿るばかりの状況に「政堯」から何かあやかろうとしたのかしら、と。
 とにかく、頑張って纏めてみたいと思います。しかし、地味に細川晴元室って重要なポジションだよなぁと(定頼様の娘、細川晴元の妻、細川昭元の母、六角義賢の妹、そして恐らく本願寺顕如室の養母) 本願寺顕如室は、信玄の正妻と姉妹であったことがよく取り沙汰されますが、細川晴元の養女であったこと(多分これはガチで養子として晴元の手元で育てられたんじゃなかろうかと)と、嫁ぐ際にはわざわざ定頼様の名目的な養女となり「六角定頼の娘」という看板を背負って顕如の妻となったことも、もっと取り上げられても良いんじゃないかなと思います。

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岩井三四二の短編集(タイトル度忘れ・・)信繁主人公の治長は良かったですよ。
いや語りは信繁だけど主役は治長かもしれません。

2011/02/08 19:47 | [ 編集 ]


Re: タイトルなし 

> 岩井三四二の短編集(タイトル度忘れ・・)信繁主人公の治長は良かったですよ。
> いや語りは信繁だけど主役は治長かもしれません。

 コメント有難う御座います。返信が遅くなってしまい、申しわけありません!
 おお!治長が良い感じの小説があるんですか!それは、何だかとっても貴重ですね………特に信繁が主役や主点となっている小説ですと、本当に治長は目もあてられないことになっていることが多いので(笑) さきほどさくっと検索してきたのですが『はて、面妖』という本でしょうか?間違っていたらすみません!
 コメント有難う御座います!

2011/03/23 22:17 | 干身@乙式 [ 編集 ]


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