何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2011/03/23 (Wed) ブログ拍手お返事


大変遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。
追記に、ブログ拍手のお返事をさせて頂きます。



重次は茶阿局の~の方→なるほど!それは初耳です。茶阿局が孝蔵主の縁戚という説は、そこから来ているのでしょうか?『寛永修重諸家譜』によると、重次は孝蔵主の弟である「正俊」の子とされているのですが、茶阿局の兄の子とする史料も、是非とも拝読してみたいですね。

鐘銘事件は豊臣方が~の方→家康の諱使用が豊臣家の落ち度であった、というお話は伺ったことがありますが、豊臣家の挑発とする説は、お恥ずかしながらまだ拝見したことが無いので、ちょっと読んでみたいですね。世間に流布している旧説にこだわることのない新しい説が出てくることは、とても素晴らしいことだと思います。

小堀遠州の父が浅井氏・秀長に~の方→そうなんですか!あまり小堀遠州に注目したことが無かったのですが、そんな縁があったんですね!高虎も、元は近江の方ですし、大和豊臣家には近江出身の方たちが多くいたのかもしれないですね。

綱吉時代まで改易は~の方→大坂夏の陣で私の中の日本史がストップしてしまっているので(…) そういったお話を教えて頂けるのは、とても有り難いです!てっきり「子供がいない、よし、末期養子駄目、絶対、断絶!」といったイメージでした(すみません……)

忠直配下に幸村の従兄弟が~の方→幸村の従兄弟と言いますと、真田信尹の息子に当たる方でしょうか?それとも、昌幸の姉妹の子か、信綱、昌輝の子か……考えるとわくわくしてしまいますね。大坂の役に参加したメンバーは豊臣・徳川問わず、どちらにも親戚が点在していることが、ぐっと合戦に深みを与えているのだと思います。

最近は「君」は蔑称では~の方→その説は、伺ったことがあります。理性では納得出来るけれど、感情の面ではどうしても、やはり「淀君」ではなく「淀の方」と呼んで欲しいと思ってしまうんですよね。「淀君」と淀の方を表記する著作が、往々にして旧説に拘泥した淀の方像で論じている(あるいは描写している)からかもしれません。

岡部江雪斎は大坂の陣前に~の方→紛らわしい書き方をしていたのでしたらすみません!治長が一時期、江雪斎と共に召し抱えられたとする説は「関ヶ原の直後に召し抱えられた」としているそうです。

古田織部の邸宅を~の方→高虎がそこまで織部を慕っていたとは、初耳です。破袋が紛失する前に撮影された写真を見る限り、合戦に巻き込まれたとは思えない綺麗な姿でしたので、織部を慕っていた高虎へ、治房(もしかしたら治長)が、夏の陣が勃発する前に譲渡したのかもしれないですね。

高虎と三成の妹婿~の方→何だか、もしもそのお話が本当でしたら、とても素敵なお話でニヨっとしてしまいますね。女性から繋がる縁戚関係は、あまりクローズアップされない分、意外なところと関わっていたりで、面白いですね!

鍋島も~の方→鍋島家も、弟が家督を継いだ家だったんですか!竜造寺との主権交代はスムーズに行われていたので問題が無かったイメージなのですが、何か江戸時代にあったんでしょうか……

家康の先祖も近江に~の方→近江は半ば佐々木帝国と化しておりましたので、家康のご先祖様も大変でしたでしょうね……。すみません!朽木さんを忘れたわけではないのですが、あの面子のアクの強さに比べて、朽木家の方があまりにも良い人なイメージでしたので、入れるのは少し可哀そうかな……と。すみません!

歴史にはまるとわからないことが増えて~の方→そうなんですよね!私も、六角家の一連の流れや一族をまとめたい!とは思っているのですが、史料が多岐にわたり過ぎて、はわわわとなっています。特に、六角政頼、政信、政堯の三人が争っているところでは、国人達の動きも絡んで、わけの分からないことに……。柳生氏は、松永氏や筒井氏とのごたごたが、何だか愉快ですよ(笑)

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