何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2011/04/11 (Mon) 我身者天下取之娘



糺が光秀の孫(かも)だと………!?
そのような記述が『天正記聞』(=『秀吉事記』?)という史料にあるそうです。紀伊様、本当にいつもいつも有難う御座います…! 正栄尼が浅井長政の庶子かもしれない、とも取れる記述をしている本(not史料)があるので、正栄尼は長政の庶子な可能性があるのねーと思っていたのですが、こういった記述のある史料が存在するとは驚きです。勿論、全てを鵜呑みにするわけではないのですが、しかし、完全に否定する要素もまた、私は持っていません。概略すると、こんな内容だそうです↓

「明智光秀の前妻は、近江永原城主・大炊助の嫡男、仁左衛門の娘だった。光秀とこの女の間には、娘が一人生まれた。この娘は後に秀吉家臣・渡辺昌に嫁ぎ、渡辺糺を生んだ。夫の死後、彼女は尼となり、正栄と号した」

 とのことです。糺や正栄尼の自害の様子も書かれているのですが、こことでは略します。また、この史料によると、
・正栄尼には、糺の他に、ツルという名前の娘もいた(=糺の妹or姉?)
・糺の妻は、牧村利貞の娘
 だそうです。
 とんでもない内容ですので、はわわわとなるしかないのですが、もしも本当だとすると、糺は光秀の孫であり、正栄尼はガラシャの腹違いの姉、ということになりますね………また、糺と興秋が従兄弟ということに。守還俗の働きがけに忠興の名前があったのは、ここら辺が関係していたりして、と妄想してみたんですけれども、違うような気もする← 
 「天海=光秀で、秀吉への復讐のために大坂の陣でハッスルしてた」というぶっとんだ奇説と「正栄尼は光秀の娘である」という説の合わせ技をすると、一気に大坂の陣が、いたたまれない親子の物語になってしまうような(…)
記事のタイトルは『天正記聞』で、正栄尼さんが言っていた言葉です。

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牧村利貞は祖心尼の親父殿ですね。
同じく助命された光秀の外孫、織田昌澄の例もあるし奥が深いです。

2011/06/22 18:04 | [ 編集 ]


Re: タイトルなし 


返信が大変遅くなってしまい、申し訳ありません。コメント有難う御座います。
もしも「糺の妻が牧村利貞の娘」という史料の記述が正しいのだとしたら、糺の妻は祖心尼の姉妹ということになるのですね。織田昌澄が、光秀の血をひいていたということで助命されたのなら、糺の息子の守も、明智の血を引いていたから還俗を許されたと考えられるのかなぁ………とちょっと思いましたが、色々な要素が絡んでいそうで難しいですね。

2011/07/02 14:42 | 干身@乙式 [ 編集 ]


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