何か吐いてみる//
乙式、主に暇人干身がだらだらと萌えに任せて吐き出す場所です。創作戦国について主に吐き出しています。同人、腐要素、注意報常時発令中です。
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2011/01/03 (Mon) 大河は1月9日からだそうです


明けました!おめでとう御座います!
相変わらず失踪気味で申し訳ないです。もう就活なんて滅んでしまえば良いと思います。始まるの、はーやーすーぎーるーだーろぉおおお!?っていう、ね!← 説明会の予約が瞬殺過ぎて取れなかった時は、目が遠くなりました。
話は変わりまして、そろそろNHKでも大河の特番が組まれるようになりましたね。宮沢りえさんの茶々が麗しくて、によによしてしまいました。あんな綺麗なお姉さんがいたら昇天するわ。ただ気になったのは、あんまりにも無造作な「淀」呼びと「戦国に君臨した」という特番での紹介のされかたでしょうか……。いや、別に茶々は戦国に君臨したことなんて一度も無いと思うんですがごにょごにょ。秀吉死後~関ヶ原までの間のこと言っているのなら、単純に御袋様としての役目を果たしていただけですし……。しかし、岸谷秀吉は可愛かった。いや、可愛かった。どんな殿下を演じてくれるのか楽しみです。もしかしたら、茶々と殿下目的でしか大河を見ないかもしれなry メディアで描かれる治長には期待をしないともう決めているから良いんです← 長政も瞬殺でいなくなってしまうだろうし、義弼は登場しないだろうし(当たり前だ) 督が主人公なので、あんまり豊臣家の人達は出てこないでしょうし……せいぜい、ねねや大政所や三成ぐらいでしょうか?殿下と秀長がきゃっきゃうふふしてくれるというのなら、話は別ですが← あと、殿下と小六がry 龍子さんと秀吉の関係が、単なる無理やり側室にされてしまった哀れな未亡人と、無理やり側室にした好色な権力者という構図でないことを祈ります。あの二人は、あの二人だけの世界が構築されてしまっているんじゃね妄想ですみません。
しかし、大蔵さんや饗庭さんがどうなるか気になります。大蔵さんは登場すると思うのですが、饗庭さんはどうなるんでしょう。是非とも、海津さんと一緒に登場して欲しいなぁと。欲を言うなら、完子を通しての茶々と督の関係や、弁天さんの持仏を通しての話なども描いて欲しいんですけども、どうかな!無理かな!
秀忠が、どうやら結構な良いキャラとして督の旦那になるらしいので、楽しみなのと同時に、秀勝がどうなるかちょっと心配です← そ、存在が抹消されたりはしない、よね……?もしくは2分くらいで死んだことにされたりはしない、ですよ、ね!←←

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2010/12/08 (Wed) 本の感想とある手紙


お久しぶりです!先日、福田千鶴先生の『江の生涯 徳川将軍家御台所の役割』を読んでみました。福田先生は『淀殿 われ太閤の妻となりて』を書かれた方です。督については不勉強甚だしいので、ひたすら「ほーはー」と感心することしか出来なかったのですが、佐治一成との結婚について「ぶっちゃけ嫁いでないんじゃ?」な考えを示された時には、そうか!となってしまいました。婚約のみを交わしただけで、嫁いでいないとした方が、個人的にも納得することが出来ました。朝日の件との類似がそうなってあーなってなるほどねーと(…) 督の子供達の件につきましては、色々なサイトさんやらブログやらツイッターやらで、福田先生の考えに対しての賛成反証などなど、たくさん目にする機会があって面白いです。そういう見方もあるんだなぁ、みたいな。ただ、家光に関しましては督の子供じゃないような気がするようなーしないようなー(ごにょごにょ) 督の子供です!正嫡の長男です!とするには、ちょっとごたごたしすぎなんじゃないの?と。しかし、家光が忠長の命を助けようとしていた、というのにはちょっと胸がきゅんと←
 督の話ではありませんが、同書の中で、茶々が片桐さんに宛てて送った手紙が紹介されていました。慶長八年(1603年)のものだそうです。この手紙を読むに、茶々は鐘銘事件のごたごたが起こった時も、心の底から片桐さんを信じていたんじゃないかなと思います。それほどまでに、片桐さんへ茶々が信頼を寄せていたのが伺える手紙でした。実際、鐘銘事件があり、片桐さんが自邸へ立て籠もってしまった時にも、茶々は「私は貴方のことを信じています。そして、貴方を害するつもりなどまったく無いのです」という旨の手紙を片桐さんへ送っています。……片桐さんは茶々のことを信じてはくれませんでしたが。それを思うと、この慶長八年の手紙は切ないなぁと。

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2010/11/22 (Mon) メモリアル梵舜


 いつもお世話になっております紀伊様の「萩の御前」様において纏められております史料の項目にて、思わず感嘆してしまった事項がありましたので、紹介させて頂きます。

・冬の陣が終わった後の1月に治長が上洛していたことは知っていたのですが、具体的に何をしていたのか分かりませんでした。しかし『舜旧記』によると、治長は養源院(茶々が父・長政の供養の為に建立した寺)を訪れているそうです。そこで、梵舜とも会っているそうな。
・幸村の妻(大谷さんの娘)が、浅野長晃に捕らわれた際、秀頼から賜った来国俊の脇指を献上している(つまり、大谷さんの娘が直々に秀頼から賜ったか、幸村が秀頼から賜ったものを預けられたかのどちらかだと思われ)
・夏の陣後の豊国社(ぶっちゃけ梵舜さん)への嫌がらせの数々。道を塞がれるわ、勝手に松を刈り取られてしまうわ、散々です。
・養源院にて行われる、茶々と秀頼の一周忌法要。仏事を行ったのは「御台」だそうで、寧々なのか江なのか不明だそうです。
・梵舜さんの、豊国社再興への執念。
・神龍院内豊国神社鎮守社(豊国社の敷地没収!やら言われてしまった梵舜さんが、自前の神龍院の敷地内へ、豊国大明神の御神体を移してこっそり祀った社)への、八条宮智仁親王(秀吉猶子)の参詣。
・『舜旧記』曰く、徳川和子(後水尾天皇妻、秀忠と江の娘)が懐妊した際に行われた着帯の儀において、用いられた神具のことごとくが、豊国社のものだったそうな。
・寛永元年(1624年)に黒田官兵衛の嫁さんが、寧々に会いに行ってたり
・かなり長く続いている梵舜(つまり豊国社)と龍子さんの付き合い。神龍院内豊国神社鎮守社になっても続いてます。
・寛永4年(1627年)に豊国社が再興される夢を見る梵舜さんに、涙腺がたがたです。
・内藤玄春という人の妻であったらしい刑部卿局(千の乳母)
 この人には内藤長秋(木村重成の与力。若江の戦いで戦死。重成の妹婿という説もある。享年21歳)の母親という説もありますが、もしも本当ならば、長秋の父親はこの玄春さんという可能性もあるんですね。

 勝手にすみません!
 和子さんには、豊国大明神と淀姫神様両方の加護があるような気がしてなりません(…) しかし、官兵衛の嫁さんは、寧々とどんな話をしたんだろうなぁと。

 

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2010/11/20 (Sat) 大野治房の息子


 大野治房の息子について、走り書きのメモで失礼します。
名前は永井勘兵衛。大坂落城当時は幼く、京の近辺に隠れ住んでいた。成長した後は、長崎で市井に混ざり暮らすようになる。しかし、慶安二年(1650年)に密告され、京へ送られる。息子が京に住んでいたが、この息子ともども死罪となった。
 とのこと。『長崎旧記』に記載されている内容です。まったく別件で史料をあさっていたら「大坂城ニ籠もる大野主馬子永井勘兵衛ト云者長崎ニ捕京都へ被渡事」という見出しがあって、目玉ひんむきました。しかし、この永井勘兵衛の説明が「大野道軒弟大野主馬子永井勘兵衛」て……治胤と治房の上下が逆転しとる。1650年と、夏の陣から三十五年も経っていますし、当時のことを知っている人も散り散りになっているので、情報がおかしくなってしまっても無理はないかなとは思いますが。気になるのは、大坂城に籠もっていた譜代の罪(罪というのもおかしな話ですが。幕府的にはということで)を許すというお触れが、随分と前に出ているはずなんです。牢人に関しては、中々そのお触れは出ませんでしたが……よっぽど、治房だきゃあ許してなるものか!となっていたのかもですね。おまけに本人は最後まで捕まらなかったのですから、むきー!となりそうです。永井勘兵衛を探し出す時も「長崎中ノ下人迄残壱人宛三四世代以前先祖ヲ改稠敷被吟味遂候」なので、とにかく長崎中の人間の先祖を洗い出しました!と、物凄く熱入ってます。いや、でも、本当、治房はどこへ行ったんだ(…) 明石さんと一緒に海外に渡ってたりして←

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2010/10/09 (Sat) 渡辺糺の孫玄孫


 江戸時代の糺の家系について『寛政修重諸家譜』をちょろちょろ見ていたのですが、以外なところで明石さんの弟について言及している記述があって噴きました。米倉永時という人の項目に「元和元年大坂落城ののち、城兵明石全登が弟をよび従者相模三浦にのがれ来るにより、速やかにその主従五人を捕へたてまつる」という記述があるんです。つまり、明石全登の弟が、その従者と一緒に相模の三浦まで逃げてきたよ!だから即行捕まえてやったよ!ということらしいのですけども、この弟は全延のことなんですか……ね?『寛政修重諸家譜』はちょいちょい内容がうっかりさんなところがあるので、間違ってる可能性も否めないのですが。もしくは、全延以外にも、明石さんの弟が入城していたのかもですね。
 そしてこの米倉永時さんの孫に、糺の孫娘が嫁いでいるという……。「糺の孫娘」という響きだけでときめいてしまいます。

 この間の記事で、何で糺の孫である勝は、仕えていた家宣が将軍になる前に致仕したんだろう?と書いたのですけども、やっぱり糺の孫であるのを憚ったのかなぁと。致仕するのと同時に、勝の養子(即ち糺の血を引いていない人)が家督を継ぎました。そこら辺を、色々と勘繰ってしまいます。しかし、勝の養子である統の更に息子(糺にとっては血の繋がらない、系譜上の玄孫)の定が、字・権兵衛の役職名・内蔵助であることにテンションうなぎ登りですよ!江戸時代に渡辺内蔵助がいたなんて……! 定は、顔も見たこともない曾々祖父の糺に憧れてれば良いなぁな、妄想をしてしまいます。
 しかし、自害をする前に「普段から覚悟してればいざ死ぬ時になってもうろたえなくてすむのですよぉ」と「うち笑い(原文そのまま)」自害する正栄尼さんに慄きました。うち笑い……うち笑いて貴方。

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